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2005年12月 3日 (土)

硬直とナイーヴ

 阪本順治は我が日本映画の期待の星である。だが、「亡国のイージス」は劇場で見に行き不満だった。その原因は俳優達の妙に硬直した台詞だった。昨夜「この世の外へ クラブ進駐軍」を観た。これまた不満は出演者達の台詞の生硬さと硬直である。

 我が国の映画史を辿れば、言葉に対するデリカシーは小津安二郎を見れば学べる。阪本とてそれを学んでいないわけはなかろう。しかし「亡国のイージス」には、それが徹底されていない。その責任は監督にある。

 アカショウビンは先月かに見た「ミリオンダラー・ベイビー」で、その見事さに久しぶりに映画から何かヒトという生き物の根底的というか、それに対する強烈なメッセージを受け取った。それは人間に対する深い眼差しである。それは先に紹介したパット・モリタさんが演じた「ベストキッド」にも垣間見れるではないか。アカショウビンは我が阪本順治にも、それを期待するのである。映画という媒体を通じて願わくばC・イーストウッドの境地へ到達してもらいたいのである。

 阪本の大先輩である鈴木清順翁から言わせれば「亡国のイージス」は「何かを言いたげな映画」ということになるだろう。役者たちは、いずれも熱演である。中井貴一しかり、佐藤浩市、真田広之、寺尾 聰しかり。しかし監督は作品全体を厳格に掌握しきれていないのではないか?この硬直さは何だろう?

 現在の時代状況が影響しているのは理解できる。しかし作品というのは、それだけでは観客の心底には届かない。少なくともアカショウビンにはかなりの不満しか残らなかった。それは編集をウィリアム・アンダーソンという第三者に任せていることにもあるのではないか?まさか監督がそれを総て承認しているわけでもなかろう。同氏への信頼はともかく阪本の作品全体の統率の曖昧さが原因ではないかとアカショウビンは邪推したのである。

 さて「この世の外へ クラブ進駐軍」はどうか?

 戦後のセットはなかなかだ。しかし、ここでも子役達を含めて台詞の生硬、硬直さは監督の演出の甘さであるとアカショウビンは苦言を呈したい。若い役者達が演技を楽しみ作品の中で自分達のポジションを了解して演技しているのは悪くはない。しかし作品の面白さに果たしてそれは生かされているだろうか?この作品で監督は脚本も書いている。それを知れば監督の思い入れがわからないでもない。ところが演技と台詞は熟成していない。阪本の才能・才覚をすればそれは不可能ではないはずだ。

 いったい何が不足しているのだろう。それは硬直とナイーヴの中間が自覚されていないからだ、とでもとりあえず言っておきたい。

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