« 女の力(続) | トップページ | 恕しとは? »

2005年12月28日 (水)

ワルターの第九

 毎年、この頃はベートーヴェンの「第九」の違う演奏をCDかレコード(!)で聴く習慣になっている。夜も明けきらない4時半頃、スピーカーで音を出すことも出来ない侘び住まいでヘッドフォンから聞こえる音に全神経を集中した。演奏は先日通販で購入したブルーノ・ワルターの1955年11月13日ウィーン・フィルとのライブ。

 冒頭の音が実に新鮮!思わず引き込まれる。フルトヴェングラーの神秘とは異なる明晰な意志の力と切れ味だ、それは。テンポはきびきびと早い。この時ワルターは79歳である。例えば晩年のクレンペラーのテンポが極端に遅くなっているのをはじめ往年の名指揮者は老年になると概して遅くなる。聴力の衰えてくるせいもあるだろう。しかし、ここでのワルターはどうだろう。実に青年のように快活なテンポだ。だが、これは決してアカショウビンの好みではないのだが・・・。

 3、4年前はCDでフルトヴェングラーのバイロイト盤を久しぶりに聴いた。もう何度聴いたか知れない巷間名盤の誉れ高いこの演奏を久しぶりに聴き直して改めて震撼したものだ。しかし、このワルターも好みを越えて納得するしかない演奏だ。フルトヴェングラーとも他の誰とも異なる、これはワルターの第九だ。言ってみればそれは名人の演奏というしかない。オーケストラもソリスト達も、そして合唱も作品は熟知している筈だ。ワルターも特に綿密な練習はしていないだろう。しかもライブだ。そこは阿吽の呼吸というものだろう。バスのゴットロープ・フリックの緊張もライブならではだ。

 それにしても木管の柔らかい響きと弦の美しさはやはり格別だ。フルトヴェングラーが逝って1年、ウィーン・フィルもワルターの指揮で演奏に集中しているのが聴き取れた。翌日の新聞には「ウィーン風ではない」ときつい批評が出たそうだが2005年暮れに50年前の演奏を聴いたアカショウビンはワルターの若々しい演奏を聴いて襟を正したのだった。

|

« 女の力(続) | トップページ | 恕しとは? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/7871601

この記事へのトラックバック一覧です: ワルターの第九:

« 女の力(続) | トップページ | 恕しとは? »