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2005年11月27日 (日)

日本人あるいは憲法

 パット・モリタさんが24日、老衰で亡くなったことを昨日の夕刊で知った。73歳で老衰というのは少し早いのではないかと思うがご冥福をお祈りする。

 アカショウビンは「ベストキッド」全4作(だったと思うが)を楽しんだ。日本人(変なという形容詞をつけるべきという人もあるだろうが(笑))を米国映画があのように描いたのは半分は本気で光栄の至りと感じたのである。あのエンターテイメント性は米国映画のフトコロの深さである。何作目かに出演したヒラリー・スワンクも「ミリオン・ダラー・ベイビー」でアカデミー賞を受賞した。それを見届けて冥界に旅立ったと思いたい。

 さて今朝の毎日新聞を見ると、松本徹氏が「多様な応答がはじまった」という題で三島由紀夫没後35年の感想を述べている。上映中の「春の雪」を「「快い驚きであった」と評価し「三島が生命を投げ出して訴えた諸問題-憲法改正、防衛、天皇等々-を政治の次元だけでなく文学、演劇、さらには文化全体との係わりにおいて捉えなおすことになるだろう」と述べている。

 アカショウビンは8月15日のブログで、三島由紀夫が1969年5月13日、東大全共闘とのパネル・ディスカッションで提出した五つの問いを紹介した。①暴力否定は正しいかどうか②時間は連続するものか非連続か③三派全学連はいかなる病気にかかっているのか④政治と文学との関係⑤天皇の問題

 三島の「左翼革命が実現する可能性へ」の危機感がつのる過程でのこれはやりとりである。三島独特の揶揄と生真面目さによるものと推察されるが、アカショウビンにとって、この問いは現在まで、どれほど継続されているだろうか?その中で現在までアカショウビンが関心を持続しているのは②と④それから⑤である。その詳細は後に述べるとして前回の松本氏(こちらは健一氏)の著作に書かれている北一輝と三島由紀夫に関わる論説は興味深かった。

 「國家改造法案大綱」で北が提案した国家の姿は既に戦後憲法で実現しているというのが松本氏の認識である。北と三島は立場こそ違え国家と対峙した個として、この国の歴史に特筆される人物とアカショウビンは了解している。「予言的思想家」としての北一輝は戦後、国家から封殺され保田與重郎も三島由紀夫も、それから「昭和天皇」でハワード・ビックス氏もほぼ黙殺したのである。その事に対する松本健一氏の違和感をアカショウビンも共有する。

 昭和の超国家主義運動の「我が闘争」、とは北 一輝全集の第2巻に付けた出版社(みすず書房)の帯PR文言である。

 現在の改憲論議のなか、枡添要一氏が今朝のNHKテレビの憲法改正論議の中で「憲法の根幹は生活に関わっていますから」と述べていた。肝心なのは、それは、どこに?どのように?である。アカショウビンも国民の一人として、それを近く試みてみるつもりである。

 

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2005年11月25日 (金)

35年前

 35年前、アカショウビンは高校1年だった。東京郊外の私立高で外界から殆ど隔離されたような環境だった。三島の事件を知り担任の国語教師は興奮した。急遽、授業の中で三島由紀夫とは如何なる作家か、を教壇で説いた。

 新聞には三島の首が出た。あれは当日の夕刊だったろうか。朝日だったはずだ。だとすれば翌日だったろう、クラスの同級生が新聞を持ってきた。それが首と判別するのに少し時間がかかった。茫とした写真だったが、それが人の首だとわかると、その凶々しさにアカショウビンは愕然とした。

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2005年11月23日 (水)

強靭な意志

 先日、外回りの仕事の空き時間の途中、書店に入って積み上げられている文庫をざっと眺めながら行き過ぎようとすると三島由紀夫という文字と二・二六事件という文字が視線の端を掠めた。著者を見ると松本健一氏。仕事の合間、時間潰しにでも、と購入した。書名は「三島由紀夫の二・二六事件」。これが面白く、乱読、併読、遅読のアカショウビンには珍しく二日で読み終えた。この本で松本氏は昨年完結させた五巻本の自著「評伝 北一輝」を介して、氏が1970年に「若き北一輝」の最終章を書いていた頃に三島が自衛隊の市谷駐屯地に乱入、自決事件が起きたことなどを伝えながら、この書を著す導入としている。

 内容の面白さは、氏のその後の北一輝(1883~1937)への打ち込みかたと、日本近現代史への関心と理解の深さからくるものであることは疑いない。

 11月25日の「憂国忌」も近い。著作の発刊日が11月20日なのは氏ご自身の意図はともかく、出版社の意図は明らかと思われる。それはともかく、三島由紀夫という存在は、この国の文学史には特筆され、さらには政治史、文化史にも欠かすことの出来ない現象であろう。

 アカショウビンは既に三島の45年の生涯以上の馬齢を重ねている。自らを振り返るに、多感な高校の頃に起きたこの事件は、アカショウビンの精神形成過程に深く関わっていると思わざるをえない。三島の思想性はともかく、作家としての抜群の資質は果たしてこれを超える才能が、その後現れているのか寡聞に知らない。その論理の明晰さと文章の美しさは日本文学史において類をみない存在といってよいだろう。そしてその才能、才覚は小林秀雄が対談で表明した言葉を読めば直覚できる。

 この著作で初めて知った事は「豊饒の海」第2巻「奔馬」の主人公・飯沼 勲が、最初の構想では北 一輝をモデルにしたという事実である。それは主人公の年齢を加味して、その後改変し北の長男(養子)大輝をイメージしたことも指摘し三島の二・二六事件への並々ならぬ関心の傍証としている。高校の頃の授業で日本史の教師が津田左右吉の歴史観を紹介しながら、「英霊の聲」の「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」、を引いて多感な高校生の関心を探っていた光景なども思い出された。

 それにしても三島という作家の凄さと不思議さは、作品の明晰と、自らの思想の論理的整合性と逆説を行動で示した強靭な意志の力である。その当否はともかく、それは稀有のものというしかないだろう。昨今の作家に、その芥子粒ほどさえ有していると言える御仁はありやなしや?

 松本氏は著書の最後でハーバート・ビックス氏の「昭和天皇」への批判として昭和天皇と歴史への誤解・短見を指摘するが、異論も百出するだろう。

 とりあえず松本氏のビックス氏批判の説得力ある箇所を抜き書きしておく。

 「ビックスは天皇が日本近代史において果たした国家支配の原理ととともに、その革命原理でもあった二重構造、つまり、支配と革命との双方にわたる原理の根底にある民族の共同幻想としての天皇像にまったく理解が届いていないのである。」(p173)

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2005年11月20日 (日)

女の力

 高橋尚子の走りを見て凄いものだと感嘆した。アカショウビンは駅伝嫌いのマラソンファンなのである。東京オリンピックでアベベ、円谷幸吉の勇姿を見て以来、マラソンという競技の面白さを知った。以来、中学のマラソン大会では全校で5、6位以内に入ったこともある。別に自慢しているわけではないが、それも東京オリンピックの感動が影響したものだ。長じて、そのアベベや円谷の後半生の痛ましさには人の生の数奇さを学んだ。

 なぜ駅伝が嫌いかというとマラソンのようにゴールまで一人で走る孤独に耐えることがない競技だからである。高橋尚子も口にしたことがあるように最近ではスポーツをするのは「楽しむ」ことらしいが、それは実際の競技での本音とは異なるものではないか?スポーツでも、囲碁・将棋の頭脳ゲームでも、それを楽しむのは素人だけである。専門家は孤独と苦しみが殆どで、喜びを味わう勝者は一握りである。多くの敗者は苦しみと悔しさだけなのではないか?それでも楽しんだというのは自分を誑かす物言いと思うが如何か?

  それにしても先のオリンピックの野口みずきの快走やきょうの高橋尚子の走りを見ていると日本の女は本当に偉いものだと思う。敷島の大和の国の頃から、この国は女ならでは明けぬ国なのかもしれない。アカショウビンは別にフェミニストではないが、女性天皇の可能性も開かれそうだし、政治も頑固一徹の無能・思考停止首相より女党首にやらせてみたらどうか?

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2005年11月16日 (水)

洗練と土俗(古型)

 朝崎郁恵さんの「うたばうたゆん」(2003)というアルバムを遅まきながら聴いた。発売当時に読んだ新聞か雑誌の批評は、このアルバムが「大和」の恐らくほんの一部で評判になったことを伝えていた。あらためて聴くと、伴奏の高橋全氏のピアノが洗練された響きで朝崎さんの声に寄り添い、流行りの癒しの役割を果たしているからかもしれない。

 しかし朝崎さんの声に寄り添い、鼓舞し鼓舞され、沈み沈ませ、高く舞い上がり舞い落ちさせる役割を果たしてくれる楽器は蛇皮線なのではないか?だから、このアルバムを聴いて何か言うことがあるとすればこうなる。「洗練と土俗(古型)」。高橋氏のピアノが果たしていると思われる洗練と、あるいは癒しという言葉で徘徊している現象に嘘はないのか?その可能性を探る手掛かりに朝崎さんの声を「土俗(古型)」として対立させる。そこで光があてられないだろうか?

 もちろん、それは高橋さんの演奏を否定することではない。あくまでアカショウビンのとりあえずの立論の役割としてである。この辺のことは後にさらに追求してみよう。

 この問いを立てて迫ってみることは現在の音楽シーンだけでなく、衣裳は変わっても根源的なところでは現在の奄美、琉球(沖縄)、大和が抱えている姿の歪さに光をあてられる可能性をアカショウビンは予感する。このアルバムを聴くと同郷の者として、このくらいは問題提起をしてかからなければ朝崎さんや高橋氏にも失礼だろうと考えるのである。

 朝崎さんの声は、地霊というのか土霊、とでもいうような響きを持っている。それは高橋氏の洗練の誘いにも媚びることなく「存在」の声を響かせる。朝崎さんにとって、それは蛇皮線だろうがピアノだろうが声は「存在」の声を伝えるだけで良い、と割り切っているようにも思われる。歌うでも、唄うでもなく、むしろ「謡う」が、いくらかその声を表すのに近い語感と思える。それは朝崎さんの歌(謡い)が表現の形(フォルム)を確立しているからだろう。

 このアルバムの命は、当時や今でさえそうだろうし、時を経れば恐らく、ほんの一部の人達にしか伝わってはいかないのではないかと思われる。それほど貴重なものという意味を込めてであるが、それは一部の人たちに聴き継がれて、ついには滅びて往くだろうという響きを聴き取るのはアカショウビンだけだろうか?しかしそういった運命をもった記録として100年か200年後に、その価値と「存在」に啓発される人が出てくるかもしれない。それは奄美の人かもしれないしアジアのほかの土地の人かもしれないし地球の反対側の人かもしれない。幽かな期待は持つが、それにしても、それほど、かそけき土俗(古型)という響きが留められた記録だと思う。

  

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2005年11月13日 (日)

歌姫(2)

 「歌姫と」は、どういう存在か?中島みゆきはアカショウビンが物心がついてからの歌姫である。しかし、それと異なる歌い手がある。と思うのはアカショウビンの故郷の歌者(うたしゃ)である朝崎郁恵さんが、きょうの午後のテレビで子供達に歌を伝えている姿を見てそう思った。アカショウビンは島の風景と島の人々の言葉の懐かしさを聴いて思わず見入ってしまった。

 それは血というのか、生まれ育った風土を共有するものにしか聴き取ることはできそうもない、風と匂いと言葉の響きだ。

 島歌とは、かつて流行った「島歌」ではない。琉球、奄美の島歌には、哀しみと恨みと、ささやかな喜びを声に託して伝える「存在」の「声」がある、それが島歌なのである。大ヒットした曲には、そのささやかな喜びを声にする爽快感はあっても恨みと哀しみがない。しかし、そこが肝心なところなのである。音楽に国境はない、と言う、ありふれた言説を疑う時がある。テレビで朝崎さんが子供達に伝えようとする歌の拍子、イントネーションは奄美で生まれ育った者にとって、そういうしかない調子と響きを持っている。

 そう思うのは、ハイデッガーが「存在と時間」の中で現存在の「良心の呼び声」を分析するのと同じ手法で試みてみれば何か少しは理解できそうな気がするのだが、これは後の課題だ。

 島の子供達に語る「ただ歌っていれば、そのうちわかる(取意)」と話しかける朝崎さんの言葉には彼女の人生と伝えようとする何かが込められている。その様子を見ていると、まるでそれは自分の血を刺激された思いがした。それは恐らく歌と語りと言葉の力である。

  ヒトの生には偶然とは思えない出会いがある。アカショウビンは運命論者ではないが、たまたまの経験が何か必然性を帯びていると思える場合がある。それは人でもあれば、風景でもあり、映像、音、言葉の響きでもある。そのとき、ヒトは触発され、齟齬し、共感し、鼓舞される。

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2005年11月11日 (金)

歌姫

 30代半ばの女性歌手が病で亡くなった事を知り、ご家族やファンの気持ちを察すると痛ましい思いだ。彼女が出演した評判のミュージカルは見てみたかった作品だった。華奢な体で歌い上げる細い声はアカショウビンの好みではないが、そこには好みを超越した歌心を聴き取る多くの人々がいたのだと思う。アイドル歌手がそこに至るまでの道程の労苦を想像すれば早すぎた死に運命の過酷さを感じ取る。

 本物の歌い手というのがあるとすれば、それは本人の才覚と歌いたい!という意志と歌詞の内容と声で伝えようとする何か、が聴き手の心と響きあい、その聴き手(聴衆)と共に育っていくものだと思う。国民歌手という表現は好みではないが確かにそういう歌い手が共同体や国(クニ)や民族に現れることがあるのではないか?そして世代にも。

 そういう存在を歌姫と称するとするとアカショウビンにとっては中島みゆきである。ラジオのディスク・ジョッキーから想像する彼女の「素」や実像はさておく。しかし歌に表現される力(パワー)はこちらを挑発し鼓舞する。失恋の哀しみを歌う女心は愛しさに溢れて胸を締めつける。もちろんそれだけではない。彼女には何か底知れない歌心があるのを感じるのである。声が良いともいえない。しかし歌詞と歌があふれる「歌壷」とでも言うしかないものを彼女はもっていると思われる。そんな我等の中島みゆきに対する同世代での異論は認めない(笑)。しかし偏見の塊であるアカショウビンも聴く耳は持つ。楯突くならそれなりの覚悟でコメントしてきていただきたい(笑)。

 中島みゆきに入れ込むアカショウビンの詳しい理由はいずれ書くとして、30代で亡くなった女性歌手も同世代や世代を超えた彼女の心底の聴き手にとってはアカショウビンにとっての中島みゆきかもしれない。彼女が歳を経て50代になりアカショウビンのように同時代で中島みゆきの今の歌を聞ける喜びを彼女のファンが味わえたらどんなに幸せなことかと悔やまれるのである。

 しかし30代の死も寿命と思い切るしかない。人間存在の理不尽と面白さは個々の自己が背負うしかないものと覚悟すべきものと思われる。

 人間の歌もハイデッガーが洞察した如く言葉と同様に存在の根底から発現したものは本来の響きに死の影を宿し、そこに喜怒哀楽が込められ他者の心に共鳴するのだと思う。

 なにやら訳がわからぬ言い方に聞こえるかもしれないが、ヒトの死を語りながら、死という、それは現象と言っていいのか保留して言うのだが、それに近づこうとすると、そんなまわりくどい言い方になってしまうのである。

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2005年11月 3日 (木)

人間の言葉

 あるブログにハイデッガーが引用されていた。「人間の言葉は、存在を十分に湛え、存在によって語らしめられるときに本来的なものになるが、そのときの存在の語りには、同時に死の本質が響いている」、と。

 湛えは堪えの誤記ではないかとも思うが、出典はいずれ突き止めてみるとして、これはハイデッガーの洞察が面目躍如している言説である。

 パスカルが言うように、存在(ある)を定義しようとすれば背理に陥らざるをえない。なぜなら、「存在」(ある)という言葉を定義するには、「これは・・・である」というように、明言するにしろ、暗黙のうちに了解しているにせよ、このように始めなければならないのは、定義される言葉を、それの定義の中で用いなければならなくなるからだ。だから、それは背理だ、とパスカルは論理的に主張する。

 これに対しハイデッガーは、次のように自説を述べる。

 じっさい、「存在」を「存在者」として把握することはできない。「存在」には何らかの本性を加えることはできない、という(アリストテレス以来の)古来のテーゼは「存在」はそれに存在する性質を内属させるような形で規定されることができない、と説いているからだ。(中略)しかしながら、このことから、「存在」にはもはやいかなる問題もそなわってはいない、という結論がでてくるわけであろうか。断じて否である。(「存在と時間」第1章第1節 細谷貞雄訳を一部修整)

 こうしてハイデッガーは「存在と時間」という書物を世に問うたのである。しかし一般の哲学史でハイデッガー哲学は「不安の哲学」として一括されるくらいだ。それが10数年前に突然フランスでナチスとの関わりが大きな話題となりジャーナリズムを通して哲学界にもハイデッガーが再登場してきた。

 冒頭の引用が、なぜハイデッガーらしいかと言うのはハイデッガーが「存在と時間」の中で用いた、人間(現存在)という生き物は死を「先駆的に覚悟する存在者だ」、と主張するハイデッガーの思考をよく表しているからだ。このようなハイデッガー独特の言い回しは後半生にいろいろな形で現れる。ところが、それがまた難解で、その言葉をめぐって事情は更に複雑化する。アカショウビンは「待望の光明」というタイトルで、このハイデッガー独特の思考の一端を以前に紹介した。参考になるかどうか責任は持たないが(笑)、ご参照いただきたい。

 引用されたのは最近の政治情勢をめぐる党派的な罵り合いの中でである。みなさん、もう少しレベルの高い議論をしましょうね!といったところで引用しているのである。しかしハイデッガーを引用しても情勢論では1930年代のハイデッガーを見れば如何に不毛であるかは引用者も恐らくわかっている筈だ。

 ハイデッガーは西洋哲学2千数百年を俯瞰したうえで、カント以降の近代哲学の逸脱を修整しこれを転倒させようと「存在」を思索した人物である。存在論を前々世紀から、前世紀に橋渡しした功績は未だ充分に論議しつくされたわけでもないように思う。それは友人でライバル(?)のヤスパースや、レヴィナス、アーレントらの弟子達、サルトルやデリダなど彼の強い影響を受けた人々、また我が国の木田元氏らの思考を辿れば明瞭だろう。池田晶子さんが説くように、この世紀は認識論の世紀といくわけにもいくまいと思う。未だに存在論は地球に生息する人間が解決してはいない(出来ない?)難問ではないのか?

 

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フェリーニ!

 DVDで一枚千円というのは、これは安い!と迷わず買いこみ、実に何十年ぶりかでフェリーニの「ローマ」を見直した。最初に観たのは池袋の文芸座(!)だったろう。十年くらい前だろうか、たまたまどこかの映画館でかかっていて見直した。その後、去年や今年、久しぶりで行った現在の新文芸座は名残はあるが、かつての姿は殆ど留めていない。ツキヒハ、ヒャクダイノカカクにして元の水ではないのだ。

 30数年前、アカショウビンの大学は新宿の将棋道場と旧池袋文芸座だった!DVDには小さな文字で1972年と記載されている。すると、何と、ほぼ同時代で観たのか!? あぁ、何と幸せなアカショウビン君!あの頃のアカショウビンにとって映画とはフェリーニだったのだ!

 ところが見直して覚えていたのは幾つかのシーンだけとは!実は、昨夜見ながら眠気に勝てず途中で静止させたまま眠り込んでしまった(笑)。何が映画とはフェリーニだ(笑)!冒頭の部分は殆ど記憶に残っていない!まるで初めて観たような印象だった。しかし、それくらいフェリーニは退屈で面白い。それは逆説ではない。それくらいフェリーニには学生時代にハマッた。「サテリコン」を見て、これは当代随一と判じた。しかしそこには未だ物語があり、西洋の歴史絵巻が壮大に描かれていた。「アマルコルド」の語りは志ん生の落語を聴くのと同じように笑い、シンミリさせられ、あぁ、本当に人間というのは彼の国でもそうなのか!と膝を打った。若いアカショウビンは完全にフェリーニにイカレたのだった。それが「ローマ」に至って物語性はどうでもよくなっている。かつて流行したフランス思想風にいえば、若かりし頃の作風をフェリーニは「ダツコウチク」しているではないか。

 初期のフェリーニは、それなりのストーリー・テラーだった。「道」には、誰もが感動したのではなかったか。ところが1972年のフェリーニは物語ることはしない。映像作家という人種は歳を経るにしたがって物語を語るのに飽きてくるようなのだ。巨匠たち(というより誰でもそうか)の晩年は次第にエピソードの羅列というか夢の再現のようなものになる。キューブリックもフェリーニも、そして我がクロサワも!その伝えたい何かというものの殆どはフツーの観客に伝わりはしない。しかし凡百の批評家は薀蓄を語る。金銭と名声欲と保身のために。

 そういう作家の変遷と成熟と行き着く先を見ると映画監督というか映像作家というのも因果な商売だと思うのである。精魂傾けて、あれこれ工夫しながら作品を紡ぐのが徒労とならないのは若い頃だけかもしれない。次第に心身は衰え、よく言えば力を抜くことを覚え、手抜きと髪一重のところで芸を見せる。その精魂が批評家に料理され辛うじて残ったのが名作として後世に伝わる。嘘と神話になる運命のものを彼は自分の感覚を研ぎ澄まし、観客の視線を意識してかしないでか比較考量し作品をまとめる。クロサワもキューブリックもそうだったろう。 映像の香辛料に台詞、音楽を使いながら。久しぶりに観たフェリーニはアカショウビンにとって新たな相貌で再登場してきた・・・。

 よし!こうなったら休日は休む。仕事なんか絶対しない!・・多分・・・(笑)。だから、ついでに買った「ミッドナイト・エクスプレス」と「地獄に堕ちた勇者ども」を何十年ぶりに観直すのだ!その後は「キス・ミー・ケイト」と「巴里のアメリカ人」のダンスを見ながら楽しく休日を過ごそーッと。

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