日本人あるいは憲法
パット・モリタさんが24日、老衰で亡くなったことを昨日の夕刊で知った。73歳で老衰というのは少し早いのではないかと思うがご冥福をお祈りする。
アカショウビンは「ベストキッド」全4作(だったと思うが)を楽しんだ。日本人(変なという形容詞をつけるべきという人もあるだろうが(笑))を米国映画があのように描いたのは半分は本気で光栄の至りと感じたのである。あのエンターテイメント性は米国映画のフトコロの深さである。何作目かに出演したヒラリー・スワンクも「ミリオン・ダラー・ベイビー」でアカデミー賞を受賞した。それを見届けて冥界に旅立ったと思いたい。
さて今朝の毎日新聞を見ると、松本徹氏が「多様な応答がはじまった」という題で三島由紀夫没後35年の感想を述べている。上映中の「春の雪」を「「快い驚きであった」と評価し「三島が生命を投げ出して訴えた諸問題-憲法改正、防衛、天皇等々-を政治の次元だけでなく文学、演劇、さらには文化全体との係わりにおいて捉えなおすことになるだろう」と述べている。
アカショウビンは8月15日のブログで、三島由紀夫が1969年5月13日、東大全共闘とのパネル・ディスカッションで提出した五つの問いを紹介した。①暴力否定は正しいかどうか②時間は連続するものか非連続か③三派全学連はいかなる病気にかかっているのか④政治と文学との関係⑤天皇の問題
三島の「左翼革命が実現する可能性へ」の危機感がつのる過程でのこれはやりとりである。三島独特の揶揄と生真面目さによるものと推察されるが、アカショウビンにとって、この問いは現在まで、どれほど継続されているだろうか?その中で現在までアカショウビンが関心を持続しているのは②と④それから⑤である。その詳細は後に述べるとして前回の松本氏(こちらは健一氏)の著作に書かれている北一輝と三島由紀夫に関わる論説は興味深かった。
「國家改造法案大綱」で北が提案した国家の姿は既に戦後憲法で実現しているというのが松本氏の認識である。北と三島は立場こそ違え国家と対峙した個として、この国の歴史に特筆される人物とアカショウビンは了解している。「予言的思想家」としての北一輝は戦後、国家から封殺され保田與重郎も三島由紀夫も、それから「昭和天皇」でハワード・ビックス氏もほぼ黙殺したのである。その事に対する松本健一氏の違和感をアカショウビンも共有する。
昭和の超国家主義運動の「我が闘争」、とは北 一輝全集の第2巻に付けた出版社(みすず書房)の帯PR文言である。
現在の改憲論議のなか、枡添要一氏が今朝のNHKテレビの憲法改正論議の中で「憲法の根幹は生活に関わっていますから」と述べていた。肝心なのは、それは、どこに?どのように?である。アカショウビンも国民の一人として、それを近く試みてみるつもりである。
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