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2005年10月13日 (木)

秋は久しき

 この季節になると実朝の和歌が思い出される。水上落葉の題で金槐和歌集に収められている「流れ行(ゆく)木の葉の淀むえにしあれば暮ての後も秋は久しき」という歌だ。茂吉の注釈によれば秋の久しき、あるいは「暮れての後は秋も久しき」と記されている写本もあるようだが、そのいずれより、アカショウビンも「秋は久しき」をとる。それは、美しく晴れた秋空と川面をたゆとう落葉の様を飽かず眺める作者の心が見えるようだからだ。

 木の葉の淀むえにし、とは作者の実体験から生じた何事かの心情を託しているようにも読める。心の鬱屈あるいは木の葉を実朝自身と見ているのであろうか。「秋は久しき」と諦観するように、達観するように実朝は言葉に留めおく。放心状態のような、それでいて意識は的確に言葉を選びとる。「秋は久しき」という、それは認識だろうが心が動いたあとの達観とも読める、そういう言葉と心の響きあいをアカショウビンはこの7音に聴き取る。

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