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2005年10月24日 (月)

寿命と覚悟

  日本人男子の平均寿命は77歳だそうである。しかしそれはあくまで平均だ。アカショウビンも50歳を過ぎて体の不調はあちこちに出てきている。新聞の死亡欄では40、50歳台の死が報じられる。それを見ると人事ではないのを知る。自殺者の多くもまた我々の年代である。金銭的な負担が大きくのしかかってくることも多いのだ。リストラや借金でにっちもさっちもいかなくなり衝動的に死を選ぶこともあるのだろう。

 そこでアカショウビンは思うのである。人間、50年生きれば十分なのではないか、と。アカショウビンより若年で亡くなった人々や年配者からすれば、そんな言い方は不遜で生意気に聞こえるかもしれない。しかし人は覚悟する、あるいは覚悟できる生き物なのだ。そうであれば覚悟しておくほうがよいのだ。ヒトには寿命というものがやはりあるのだと。医学の進歩で多少の対処はできても本源的なところでこればかりはどうすることもできないというのは人類の智慧なのではないか。

   死とは何か。それは単なる消滅だろうか。果たして答えが出てくるものか怪しい問いではある。しかし、誰もがあえて問いたい問いではないか。生き物の生と死とは宗教的領域の問題であろうが哲学的にも踏み込むことは可能だろう。

  キューブラー・ロスによれば、ヒトは四つの部分から出来ているという。すなわち肉体的な部分、感情的な部分、知的な部分、そして霊的・直感的な部分である。幼くして死んでいく子供達には、この霊的な部分が「大きく開いてくるので、まるで老賢者みたいなことを言う」(死ぬ瞬間」と死後の生・p88)という。この領域は広大で「永遠の謎」であるのかもしれないがロスの見解は実に興味深い。

 アカショウビンも自分の肉体の衰えを自覚しながら死と寿命について考えていきたいと思うのである。

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