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2005年10月 6日 (木)

われは何時にても

明治43年の大逆事件で翌44年に処刑された宮下太吉を追悼し石川啄木は「呼子と口笛」の中で下記のように記した。アカショウビンは松蔭寅次郎の「留魂録」や、このような或る激動の時代に残された切実な文章を読むと、己の阿呆のような日常の怠惰に慄然とし貴重な生を無為に過ごす愚を深く、深く恥じるのである。

われ常にかれを尊敬せりき、しかして今も猶尊敬す――かの郊外の墓地の栗の木の下にかれを葬りて、すでにふた月を経たれど。

実に、われらの会合の席に彼を見ずなりてより、すでにふた月は過ぎ去りたり。かれは議論家にてはなかりしかど、なくてかなはぬ一人なりしが。 

或る時、彼の語りけるは、「同志よ、われの無言をとがむることなかれ。われは議論すること能はず、されど、我には何時にても起つことを得る準備あり。」

かれの眼は常に論者の怯懦を叱責す。’同志の一人はかくかれを評しき。然り、われもまた度度しかく感じたりき。しかして、今や再びその眼より正義の叱責をうくることなし。かれは労働者――一個の機械職工なりき。かれは常に熱心に、且つ快活に働き、暇あれば同志と語り、またよく読書したり。かれは煙草も酒も用ゐざりき。かれの真摯にして不屈、且つ思慮深き性格は、かのジユラの山地のバクウニンが友を忍ばしめたり。

かれは烈しき熱に冒されて、病の床に横はりつつ、なほよく死にいたるまで譫話を口にせざりき。「今日は五月一日なり、われらの日なり。」これ、かれのわれに遺したる最後の言葉なり。この日の朝、われはかれの病を見舞ひ、その日の夕、かれは遂に永き眠りに入れり。

ああ、かの広き額と、鉄槌のごとき腕と、しかして、また、かの生を恐れざりしごとく死を恐れざりし、常に直視する眼と、眼つぶれば今も猶わが前にあり。彼の遺骸は、一個の唯物論者としてかの栗の木の下に葬られたり。われら同志の撰びたる墓碑銘は左の如し、「われは何時にても起つことを得る準備あり。」

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