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2005年10月29日 (土)

精神と変換力

 かつてポール・ヴァレリーは、「精神」が無秩序から秩序を作りだそうとするものである以上、「精神」には、いわば独裁を方法的に志向しようとする傾向のあることを指摘した。(準・政治的試論)。ここで「独裁」という語には第一次世界大戦を経たヴァレリーの経験が込められている筈だ。それに対し彼は「精神」の獲得した、もう一つの能力である、自分自身の意識によって、自己をすべての事物から引き離すことが出来るばかりか、自分自身からも引き離すことが出来るという能力、いわば「変換力」として「精神」を対比させることで、いわば「精神」の「精神」とでも言うべきものを作り出さねばならないと語っていた(@清水 徹氏)そうだ。

 これはさらに再考してみたくなる思考である。そこはロスの言う「知」や「霊」の生ずる領域とも関係しているのではないか。ロスの語る「霊的な」という言い方はキリスト教的な磁場の中で語られていると思われるが、それは洋の東西を問わない実に興味深い報告のように思う。また、それは明晰で怜悧なヴァレリーが説明しようとしている領域とも密接に相関しているように思われる。

 さて、その領域までアカショウビンは果たしてどれくらい踏み込めるのだろうか?

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2005年10月24日 (月)

寿命と覚悟

  日本人男子の平均寿命は77歳だそうである。しかしそれはあくまで平均だ。アカショウビンも50歳を過ぎて体の不調はあちこちに出てきている。新聞の死亡欄では40、50歳台の死が報じられる。それを見ると人事ではないのを知る。自殺者の多くもまた我々の年代である。金銭的な負担が大きくのしかかってくることも多いのだ。リストラや借金でにっちもさっちもいかなくなり衝動的に死を選ぶこともあるのだろう。

 そこでアカショウビンは思うのである。人間、50年生きれば十分なのではないか、と。アカショウビンより若年で亡くなった人々や年配者からすれば、そんな言い方は不遜で生意気に聞こえるかもしれない。しかし人は覚悟する、あるいは覚悟できる生き物なのだ。そうであれば覚悟しておくほうがよいのだ。ヒトには寿命というものがやはりあるのだと。医学の進歩で多少の対処はできても本源的なところでこればかりはどうすることもできないというのは人類の智慧なのではないか。

   死とは何か。それは単なる消滅だろうか。果たして答えが出てくるものか怪しい問いではある。しかし、誰もがあえて問いたい問いではないか。生き物の生と死とは宗教的領域の問題であろうが哲学的にも踏み込むことは可能だろう。

  キューブラー・ロスによれば、ヒトは四つの部分から出来ているという。すなわち肉体的な部分、感情的な部分、知的な部分、そして霊的・直感的な部分である。幼くして死んでいく子供達には、この霊的な部分が「大きく開いてくるので、まるで老賢者みたいなことを言う」(死ぬ瞬間」と死後の生・p88)という。この領域は広大で「永遠の謎」であるのかもしれないがロスの見解は実に興味深い。

 アカショウビンも自分の肉体の衰えを自覚しながら死と寿命について考えていきたいと思うのである。

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2005年10月21日 (金)

ロハス?

 あるブログで ロハスという生活スタイルが紹介されていた。Lifestyle of Health and Sustainabilityの略語で「健康で持続可能なライフスタイル」ということだそうだ。「サステイナビリティ」は持続可能性で、要するに「環境にやさしい」ということのようである。そのブログはこのように説明している。「環境が再生産可能な低強度で開発される限度内の生活にとどまろうという心がけである。一昔前のエコ系のことである」と。

  また曰く。「ロハス系は比較的高学歴高所得であるが、出世志向は弱い。自分の趣味の時間を増やしたいと考えているが、とはいえ忙しいので、それほど趣味の時間が多く取れるわけではない。よって、雑誌、本などを見て代償する日々が続く。雑誌でいえば『ソトコト』『サライ』を愛読するタイプ。会社の仕事だけでなく、社会活動、NPOなどにも関心があり、環境問題についてのセミナーなどにも個人的に参加するようにしている」。

 アカショウビンも一部で相当するところがないではない。高学歴で高所得ではないが出世志向が弱いのはそうである。「趣味の時間を増やしたいとは思っているが仕事に追い回されて時間がとれない」のもドンピシャだ。しかし『ソトコト』『サライ』などは読まない。その後もあまり該当しない。

 また曰く。「消費面では、有名高級ブランドには関心が弱いが、ひとひねりしたそこそこのものを買うのが自分らしいかなと思っている。外車が好きだが、ベンツやBMWではなく、できればジャガーやプジョーがよいと思っている」。

 これも前半はその通りだが、外車が好きなわけではない。国産車の走りで事足りる。だが車をもつ必要性もあまり感じない。それだけの金をかけるならオーディオ装置に金をかけたほうがいいと思うほうだ。

 また曰く。「品質、製造方法、伝統、文化などについての蘊蓄があるものを好む。よって無印良品もやや好き。古本、骨董、真空管アンプ、中古家具、古民芸など、やや古めかしいアナログ趣味の世界に浸るのも好き」。

 これは殆ど当てはまる。

 アカショウビンは友人からその管理人の名を聞き少し興味もあり著作を買い求め、その「思想」を探りはじめているところだ。いずれ名前は明らかにさせて頂くがアカショウビンの関心の対象と重なるところもあるので、いずれ考えがまとまれば論じてみたいと思う。

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2005年10月16日 (日)

音楽とは?

 先の斎藤秀雄の書き込みが気になったわけでもないが、休日のアルコールに少し酔い、小澤征爾とサイトウキネンオーケストラのブラームス3番・4番交響曲のLD(DVDではない!・・笑)を引っ張り出して見直した。小澤征爾という指揮者の評価は、先のブログでも書いたように、この国でも世界でも決して定着しているわけではないと思われる。しかし同時代を生きる一人の音楽ファンにとって、それはやはり気になる指揮者なのである。アカショウビンは小澤征爾のブラームスを見聴きしながらブラームスの作品を、小澤征爾という指揮者を通して享受する。それはレコード(!)やCDで往年の大指揮者たちを聴くのとは異なる同時代性という親和感があるのは認めよう。あるいは斎藤秀雄の弟子という知識と共感からもたらされるものであるのも認める。しかし、それは「正統」から見れば取るに足らない演奏なのであろうか。

 小澤征爾という指揮者の価値はどのように位置づけられるのか?アカショウビンにとって小澤の得意なマーラーの音楽に共感するのは、「祷り」と「哀しみ」である。「復活」や3番、5番、何より最期の9番には実に深い「祷り」が聴きとれるのはマーラー嫌いにとっても否定できないのではなかろうか。またあの大仕掛けな8番にも、その「祷り」は如実に聴かれる。その畏敬の対象はアカショウビンにとっては異教の神であるとしても、それは洋の東西を問わない行為と姿ではあるまいか?それは果たして思い込みに過ぎないのだろうか?

 エリー・ナイというピアニストについて先に書いた。そのきっかけになったのは、ある友人の感想とアカショウビンの理解が全く正反対のものであったことに起因する。

 その理由の手掛かりになりそうだ、と思うのは吉田秀和(あえて敬称はつけないのをお断りする。吉田秀和さんは未だご壮健であるが、クラシック音楽の有数の批評家として固有名詞で差し支えないとアカショウビンは思うからだ)が先にも書いたエリー・ナイの演奏会の批評なのである。吉田秀和は、その演奏会がまるでエリー・ナイという女神を聴く信仰の場所のように感じ、ナイの演奏を往年の技術はともかく、その演奏会は技術的に聴くに耐えない演奏として途中で席を立ったと記している。

 音楽がある種の「祷り」と「哀しみ」を本質とするというのは誰もが経験する事実だと思う。もちろん「楽しさ」とか快楽も重要な要素であるのは承知で言うことである。エリー・ナイを女神のように崇める聴衆というのは国は違えど、どこにでもある現象とアカショウビンは思う。美空ひばりに感動する日本人の聴衆とエリー・ナイに感動するドイツの聴衆は本質的に違うとは思えない。しかしそれで美空ひばりとエリー・ナイを拒否することは「音楽」を享受する「場」にいて危うい「状況」にいるはずだと思うのだ。

 趣味的な話で恐縮だが、昨年だろうか、クナッパーツブッシュというフルトヴェングラーほどその名は知られていない指揮者のブラームスを聴いて度肝を抜かれた気がしたことがある。アカショウビンのアイドルは高校生の頃からフルトヴェングラーだった。クナ(狭い世界ではそう呼ぶのだが)も聴いてはいたが当時は少なくとも日本ではフルトヴェングラーほどのレコードがでていなかった。それがここ何年かどっと売り場に放出されてきた。貧しいアカショウビンも、この価格なら激安!と十数枚買い込み集中して聴きまくった。これが凄いのである。クナッパーツブッシュという人は実に個性的というか、いや何とも凄い、あるいはフルトヴェングラーより「指揮者」としての「格」は上かも知れないとアカショウビンは驚愕した。彼はドイツというよりミュンヘンを本拠地として愛された人だ。その彼がドレスデン・シュターツカペレという、これまた当時は実に渋い音色を持つオーケストラを指揮した。1956年と1959年の録音である。そこにはフルトヴェングラー、ワルターとは明らかに異なる、それはそれで見事と言うより凄い!ブラームスが聴かれる。 そのような演奏を聴くと日本人が聴くベートーヴェン、ブラームスと彼の国の人々が聴き取るベートーヴェン、ブラームスは異なるものなのかもしれない、と思いもする。小澤征爾のブラームス、ベートーヴェンは西洋の人々にどう理解されているのか。音楽の特に西洋クラシック音楽に外国人の演奏家が増えて、その民族性が希薄になり「普遍的な」理解の仕方が進んだとも見える最近のクラシック音楽やジャズの現在を見ると、それがアナクロニズムのように見えるとしても、あえて問いたい問いなのである。

 かつて内田光子は音楽に国境はある、と語っていたのではなかったか。アカショウビンも、そう思う時がある。しかし小澤や、その内田光子本人の音楽や演奏会をCDや映像で目にすると、幻想や錯覚ではなく、もしかしたら音楽に国境はないのかもしれないと思うのである。モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスは「人類」の共通の至高の芸術遺産だと。しかし小澤征爾の音楽は彼の国では単なるもの珍しい音楽とみなされているのではないか、という疑念を持たないわけではない。

 それはともかく、小澤征爾の音楽作りは部分から練り上げていく細部を大切にする音楽作りだ。その基礎にある斎藤秀雄の指揮法は欧米にも通用していることはウィーンの音楽監督に抜擢されたことからも明らかだ。LDの映像を見て共感するのは、あるパッセージで、そこは「お祈りするように」という「曖昧な」指示を与えるところだ。音楽を「お祈りではなく」、と、かつて吉田秀和は先のエリー・ナイの演奏会に接して語っていた。音楽は、お祈りでなく、言ってみれば「純音楽」として対したい、という感想を書いていたはずだ。その対比は「音楽」という芸術の本質にかかわる問題だとアカショウビンは理解するのである。

 アカショウビンにとって音楽は「祷り」と「哀しみ」が急所なのだ。それは勿論シチュエーションのことではない。エリー・ナイを聴く聴衆の多分異様な雰囲気だったのだろう、その演奏会を聴いて吉田秀和が反発したのはわからなくはない。しかしドイツ人にとってベートーヴェンの晩年のピアノ・ソナタや弦楽四重奏を聴くことは、一種、お祈りの「場」に立ち会っているのではないか、と思わせられるのはベートーヴェンを聴く日本人にとっても、あるいはそれは理解できることではないだろうか?しかし、吉田秀和が、そういった「場」に出くわして違和感をもったということも何となくわかる気がする。技術的な衰えは若かりし氏のあふれんばかりの好奇心と向学心と厳しい審美感に適わなかったのであろう。そのあたりも何となくわからなくはないのがこの問題のやっかいなところではある。

 さて、ここでいったい何が問われているのだろうか。音楽とは祷りか、快楽か、ということか。音楽とは単なる音の羅列にしかすぎないということなのか。少し酔いを醒ましてからあらためて考えてみよう。

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2005年10月13日 (木)

秋は久しき

 この季節になると実朝の和歌が思い出される。水上落葉の題で金槐和歌集に収められている「流れ行(ゆく)木の葉の淀むえにしあれば暮ての後も秋は久しき」という歌だ。茂吉の注釈によれば秋の久しき、あるいは「暮れての後は秋も久しき」と記されている写本もあるようだが、そのいずれより、アカショウビンも「秋は久しき」をとる。それは、美しく晴れた秋空と川面をたゆとう落葉の様を飽かず眺める作者の心が見えるようだからだ。

 木の葉の淀むえにし、とは作者の実体験から生じた何事かの心情を託しているようにも読める。心の鬱屈あるいは木の葉を実朝自身と見ているのであろうか。「秋は久しき」と諦観するように、達観するように実朝は言葉に留めおく。放心状態のような、それでいて意識は的確に言葉を選びとる。「秋は久しき」という、それは認識だろうが心が動いたあとの達観とも読める、そういう言葉と心の響きあいをアカショウビンはこの7音に聴き取る。

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2005年10月 8日 (土)

音、あるいはモーツァルト

  音とは何か?先日読んだ井上太郎氏の「日本人とモーツァルト」という新書を読みながら、そう問うてみよう。

 そこで井上氏は、音楽批評家の遠山一行氏が若い頃、「音楽」という言葉にこだわりをもっていたのが、留学先のフランスで見たモーツァルトの「フィガロの結婚」でスザンナを歌ったリタ・シュトライヒという歌手の歌を聴いて忽然と理解したという逸話を紹介している。井上氏は小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平、吉田秀和、遠山一行らのモーツァルト観を紹介しているがアカショウビンは遠山氏のモーツァルト観がとても興味深かった。

 それは小林秀雄が「モーツァルト」のなかで、若いころに大阪は道頓堀で経験したという例の有名な話とも一脈通じるように受け取られる。小林の経験とは、若い頃、道頓堀を彷徨っていると突然モーツァルトの交響曲・第40番がどこかから聞こえてきたが実際にそのような音は聞こえてはいなかった、というものだったはずだ。

 遠山氏は小林の「モーツァルト」には批判的ながらも一応の敬意は表している。吉田秀和氏は小林秀雄とは身近な付き合いだったからでもないだろうが殆ど絶賛といってもよく、大岡、河上らの小林秀雄の周辺の、小林の人となりをよく知る人々の評価で、あの著作の価値はほぼ固まったともいえる。しかし、戦前のベートーヴェン好きから一転して戦後はモーツァルト好きが急激に増えて今やほぼ逆転したかに見える日本での西洋クラシック音楽の受容のされかたのなかで小林秀雄のあの作品がはたした役割が実に大きいのは誰もが認めるところだろう。もちろん、あの名著と目される作品の読まれ方が様々なのは、最近復刊した高橋悠治氏の1970 年代の論評を読むと、礼賛だけでなく鋭い批判もされているのがわかる。それについては後日、論じてみるつもりだ。

 それはともかく、ショパン研究で一家を成した遠山氏のモーツァルト観はとても興味深いものだった。リタ・シュトライヒというソプラノの歌から忽然と音楽の自由さを「悟った」と言うほうがぴったりする氏の体験はアカショウビンも共感する。リタ・シュトライヒというソプラノは実演はともかく録音ではフリッチャイの「魔笛」の夜の女王などを聴くと、決して傑出した歌い手とアカショウビンには思えない。むしろ舞台で映えるタイプのソプラノではないかと邪推する。遠山氏もおそらく歌唱の素晴らしさというより舞台での魅力でスザンナという役柄が演じられてもいいのだ、という吹っ切れ方をしたのではないかと思う。それが彼女の歌を聴いたとき「心の中の音楽という虚像を一挙にして吹き払ったのである」と語る氏の感想になっていると思うのだが。

 また言う。「音楽なんてものはどこにもありはしないのだ。ただメッセージを伝えようとする音楽家の強い意志があるだけだ」。まったく同感だ。

 それにしても、音とは何か。「音楽」と私達が日常何気なく使っている語彙の実体を考えてみると、遠山氏のこだわりは確かに思い当たるところがある。「音楽」はおそらく西洋語の翻訳だろう。井上氏は、遠山氏がヨーロッパで「他者」という概念に出会ったのではないか、と書いているが、ドイツやフランス、イタリアなど西洋クラッシク音楽の本場での音楽の受容のされ方は異国文化の日本人として本質的な問いを投げかけてきたものと思われる。

 音楽とは何か、音とは何か。モーツァルトを聴くと確かに強く、そのような問いが浮かんでくるのである。

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2005年10月 6日 (木)

われは何時にても

明治43年の大逆事件で翌44年に処刑された宮下太吉を追悼し石川啄木は「呼子と口笛」の中で下記のように記した。アカショウビンは松蔭寅次郎の「留魂録」や、このような或る激動の時代に残された切実な文章を読むと、己の阿呆のような日常の怠惰に慄然とし貴重な生を無為に過ごす愚を深く、深く恥じるのである。

われ常にかれを尊敬せりき、しかして今も猶尊敬す――かの郊外の墓地の栗の木の下にかれを葬りて、すでにふた月を経たれど。

実に、われらの会合の席に彼を見ずなりてより、すでにふた月は過ぎ去りたり。かれは議論家にてはなかりしかど、なくてかなはぬ一人なりしが。 

或る時、彼の語りけるは、「同志よ、われの無言をとがむることなかれ。われは議論すること能はず、されど、我には何時にても起つことを得る準備あり。」

かれの眼は常に論者の怯懦を叱責す。’同志の一人はかくかれを評しき。然り、われもまた度度しかく感じたりき。しかして、今や再びその眼より正義の叱責をうくることなし。かれは労働者――一個の機械職工なりき。かれは常に熱心に、且つ快活に働き、暇あれば同志と語り、またよく読書したり。かれは煙草も酒も用ゐざりき。かれの真摯にして不屈、且つ思慮深き性格は、かのジユラの山地のバクウニンが友を忍ばしめたり。

かれは烈しき熱に冒されて、病の床に横はりつつ、なほよく死にいたるまで譫話を口にせざりき。「今日は五月一日なり、われらの日なり。」これ、かれのわれに遺したる最後の言葉なり。この日の朝、われはかれの病を見舞ひ、その日の夕、かれは遂に永き眠りに入れり。

ああ、かの広き額と、鉄槌のごとき腕と、しかして、また、かの生を恐れざりしごとく死を恐れざりし、常に直視する眼と、眼つぶれば今も猶わが前にあり。彼の遺骸は、一個の唯物論者としてかの栗の木の下に葬られたり。われら同志の撰びたる墓碑銘は左の如し、「われは何時にても起つことを得る準備あり。」

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2005年10月 2日 (日)

ジャズの現在

 上原ひろみ、という若いジャズピアニストの噂は聴いていたが、テレビのゲストに迎えられたインタビューを見て面白かった。ジャズは、まだ死んでいないのであろうか?

 昭和50年代の前半は「ジャズ喫茶」なるものが都内のあちこちにかなり残っていた。団塊世代より後の我々の世代は「政治闘争」の熱が引き、次は何か、と模索を始めていた年代とでもいえばよいだろう。そのような時代でアカショウビンにとってジャズは青春の音楽だった。我々の父母、祖父母の世代とは異なり複製音楽は巷に満ち溢れ、電蓄はオーディオと名を変えLPレコードは音楽好きの中高大学生にも楽に手に入る時代になっていた。アカショウビンは高校生まではモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスが、この世で最高の音楽家達で(今では殆どオタクか!)、ジャズというのは、まるで違う世界の音楽だった。

 ジャズに出会ったのは大学に入ってからである。友人達にはロックファンとか、まるで音楽には興味のない連中とか、何となくクラシックは知っているがアカショウビンほど入れ込んではいない友人が殆どだった。その中でジャズにもクラシックにも詳しい友人と出会って、当時の音楽シーンでモダン・ジャズを知らないというのは何か「遅れて」いるように思えて、アカショウビンは焦った(笑)。確かに、コルトレーンやマイルスを聴くとクラシックにはない凄い世界があるのを理解した。「音楽」を受容するうえで、ジャズを知らないというのは、何か決定的に重要なものを欠いていることのように思えた。

 それからのアカショウビンの学ぶ場所は大学でなくジャズ喫茶と名画座とレコードと将棋道場になった(笑)。名画座と将棋道場のことはさておく。ジャズ喫茶とレコードでジャズに馴染んでいったアカショウビンは「即興」の面白さというのを理解した。上原ひろみのピアノを聴いていると、そのジャズの即興を体で体得しているのを感じる。上原の大先輩には穐吉敏子さん他多くの先達がいる。穐吉さんはピアニストから自前のオーケストラを持ち本場米国で貴重で見事な足跡を残して現在もカクシャクとしておられる。最近では綾戸智絵という強烈な浪速のオバハンもいる。そんな最近のジャズシーンを見ると、あぁ、なんて日本の女は強いのだろう!と感嘆し男共の不甲斐なさに嘆息する。

 というわけでアカショウビンにとっては、上原ひろみは穐吉敏子を超えられるか、というのがオールド・ジャズファンの期待と関心であることを伝えておきたい。そして上原ひろみというピアニストの大成を祈る。

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