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2005年7月31日 (日)

視線(補足)

視線あるい眼差しについて思索し、存在するとはどういうことか、とハイデッガーは戦後も思索を続けていた。1967年にメダルト・ボスに宛てた手紙の中で彼は次のように書いている。

「待望の光明」(erhoffte Lichtblicke)については、それが何よりもまず経験(エァファーレン)と眼差し(ブリッケン)の転換にかかわるだけに、ほとんど伝達不可能です。「現にあること(Da-sein)」の開けとは、空き地(Lichtung)を耐え忍ぶこと[出で立つこと(Ausstehen)]「である(ist)」のです。空き地と「現にあること」とはそもそもの始めから共属(zusammengehoren)しており「共(zusammen)」という形で両者を規定する統一は生起(Ereignis)なのです。この領域の次元に入る最良のやり方は、私が『自同律』についての講演で述べていることをもうー度考え抜き、その参考として『存在の問いによせて』という小冊子を読まれることです。(「ツォリコーン・ゼミナール」p399 1991年刊行) 

アカショウビンも視線について思考を持続しながら、存在について思索を深めていこう。

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コメント

お返事ありがとうございました。
 かつて何度かお会いしてずい分楽しい思い出もあるアラン・ジュフロアが、画家の視線の事について本(正確な題名は忘れましたが、日本語に翻訳されています)を書いていたのを懐かしく思い出してTBさせていただきました。シュールレアリズムの詩人で、フランス大使館の文化参事官として、以前に東京に滞在していました。気さくな中に、芸術にはとても厳しいところのある人でした。
 アカショウビンさんも、絵画には大変興味をお持ちのようで、今後ともどうぞよろしく御願い致します。

投稿: 幻想画家ユージン | 2005年8月 2日 (火) 午後 07時00分

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