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2005年7月23日 (土)

歴史とは?

 

「スター・ウォーズ エピソード3」の宣伝で来日した監督のG・ルーカスはインタビューに答えて次のように話したという。

 「民主主義が、民主主義的手続きを経て専制政治に行き着く、という例はシーザーの時代から歴史の繰り返し。人間は知的にいくらか進歩しても、感情的には不変だ」(毎日新聞7月13日夕刊)。

 それは、この作品が9・11に至る、また恐らく現在も変わらぬ米国の覇権主義的あるいは帝国主義的現実を色濃く反映していることへの氏のコメントだ。この認識は、いちおう歴史を学んでいる者の言ではある。しかし、それだけでは、自国のイラク戦争を追認しているだけだ。話は、そこから展開させなければならない。

 そこでインタビュアーは一歩踏み込み、「あなたは人間というが、それはあなたたちの米国という国家と国民の大半は、というべきではないか」と問うてみるべきだった。また「果たして感情的には不変だろうか?」とも。

 文学が政治的であるように、また映画も政治的であるだろう。しかし、もちろん作品の仕上がりは、そこから一線をおいて論ずることが出来る。

 そこのところで、この作品の価値は、と自問してみれば、陳腐と背中合わせの、まぁまぁ、というのがアカショウビンの感想だ。陳腐という理由は、巷間、持ち上げられる、主人公が悪の世界へ引きずり込まれていく過程がよく描かれている、という、そこのところが、さして面白いとも思われなかったからだ。

 そこで先日観た「ミリオンダラー・ベイビー」を持ち出すのは場違いだが、監督の、人間を見る視線の深さとでもいう力量は残酷なくらい歴然としていると思った。

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