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2005年7月15日 (金)

「時間」について

 秀作「泥の河」を撮った小栗康平氏が毎日新聞の7月11日夕刊で述べているコメントは重要である。

 「日本人の自然のとらえ方は明らかにヨーロッパ的な遠近法とは違います。映画でいうヨーロッパ的手法とは人間を中心に置いて言語で物語を進めることです」という認識の下に新作「埋もれ木」を作ったとのことである。アカショウビンは、そのスチール写真を見た時、キューブリックの「2001年宇宙の旅」のモノリスを連想したが映画好きにとって、その直感はあながち誤ってもいないだろうと思う。

 新作では、「時間を多層的なものとして見つめようとしたことです。映画には、時間の流れが変えられないという考え方が強くあります。映画の中に過去や幻想が入ってくることがあったとしても、物語が持つ時間は一つです。物語とも呼べない単純な作りであっても、空間の方はいくらでも選択できる。ハリウッド映画はそうやって楽しいだけの映画をまき散らしています。でも僕たちの時間感覚とは本来そのような単一なものではありません。時計が刻む時間もあれば、心の時間もあるはずです」と述べられているのは傾聴すべき時間論だ。アカショウビンにとって「時間論」は生きている間に格闘し続ける相手なのだが、それは「2001年宇宙の旅」が契機になっていることに今気付いた。しかし、これを持続するのが難しい(笑)。

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