2019年11月20日 (水)

夜勤三日目

 きのうは新宿、きょうは羽田空港近くのの現場。夜の寒さはきつい。きのうは防寒着を持参せず難儀した。きょうは一応対策を整えたが状況は変化する。油断はできない。食事は相変わらず。きょうも持参したサンドイッチが二切れしか入らない。それも少し吐いた。しかし、食べなければ仕事が出来る体力は維持できない。間もなく最寄り駅だ。さぁ、頑張って行きまっしょ。

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2019年11月18日 (月)

老いの活路

 このところ、外の食事で必ず吐く。喉から食道に病変があるのだろう。きのうも弔問のあと新宿で好きな蕎麦屋で食事しようとしたら二口で全部吐いてしまった。きょうも昼過ぎに水餃子ならだいじょうぶだろうと好きな店に入ったら噎せて食べられない。トイレで吐き、バイクで団地に戻る途中も吐き続けた。戻って横になり友人から送って頂いた吉永小百合さんを密着取材した番組の録画DVDを観たが集中力か続かない。

 しかし、食べなければ人も動物も昆虫も生き物は生きていけぬ。それは生きとし生けるものの摂理というものだ。老いた者たちは人も動物たちも若い者たちから疎外される。そこからは、互いの折り合いである。その過程と結果は千差万別。現実に対応し活路は開かれるし閉じられる。老いとは正に、そのような現実を生きるという事だ。きょうは新宿の現場で夜勤だ。何か口に入るものを落とし込み活力を出さねばならぬ。一日、一日が凌ぎだ。

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2019年11月17日 (日)

弔問

 今年三月にお亡くなりになった方の弔問に行く。新宿から私鉄に乗り換え、途中、新宿の昔は“しょんべん横丁”と言った飲み屋街を通ると外国人の多いのに驚く。かつてのアカショウビンもそうだったが、安い定食や美味しいツマミで一杯やるのは洋の東西を問わないのだろう。久しぶりに懐かしい電車に乗り最寄の駅に向かう。沿線にはかつて棲んだ駅も通過する。

 故人はアカショウビンが長く務めた業界の先輩。お世話なった義理は欠けない。奥様は長く付き合った別の先輩に落ち着いてからお会いしたいと話したらしい。

 先ほど訪れて奥様とも会えてご挨拶した。故人のKさんは若い頃に一方的に惚れ込み結婚したという。一緒に務めていた時に急性心筋梗塞で入院した事があり奥様とは、それ以来の再会だった。Kさんが亡くなってからは奥様が入退院を繰り返していると言う。しかし、お元気な表情で安心した。

 帰りの電車からは以前に棲んだ最寄の駅も通過し時の移り変わりを実感した。時の氏神は人間たちの生き死にを眺めているのだろう。少年老いやすく学成りがたし。一寸の光陰軽んずべからず、である。しかし凡愚はそれを忘れる。自戒すべし。

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2019年11月14日 (木)

歯の治療から試写会へ

 休日は朝から雑用を済ませ午後はギリギリで歯科医院に到着。あれこれイジラレ血がボロボロ。ゾッとしたが我慢、我慢。一時間近くの治療を終えて試写会会場に向かう。

 朝はカール・リヒター指揮のマタイ受難曲を雑用をしながら久しぶりに聴いた。あれこれある盤で多くの評論家、批評家に指示される名盤だ。アカショウビンの偏愛するエルンスト・ヘフリガーやフィッシャー・ディスカウの歌唱を熟聴した。イエスの裁判の経緯は関係資料を改めて熟読したい。ハンナ・アーレントの思索、論考も考察しなければならぬ。西洋キリスト教の歴史に対抗する為に私たち日本人、アジアの民びとは仏教の可能性を探らねばならないだろう。それが新たな倫理学の確立をも求めることになろう。キリスト教主導の現在の世界に新たな倫理学は不可欠である。それをカント以来の西洋の知性と協働して現実化しなければならない。

 新天皇即位で日本は未だ天皇制が国を支えているのか、というのが海外の観測でもあろう。新たな倫理学の構築には政治と宗教との関係の明瞭化が不可欠である。そこに曖昧は許されない。その意識が現政権にあるとは思えない。それには市民、国民の民度と知性が試される。政府に期待出来なけば市民、国民が立ち上がらなければならない。草莽決起である。奮い立ち行動に出る有志は何処にかある。

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