2019年12月 5日 (木)

胃カメラ検査

 11時30分の予約が電車遅れで正午前にやっとたどり着いた。問診表に回答し順番を待つ。血圧は123〜82、脈拍は75。受付の女性は中国訛り。しかし流暢な日本語でてきぱきとした対応。待ち人は殆んど高齢者。アカショウビンは若いほうだ。

 もう胃カメラ検査は何度やっただろう。正確には上部消化管内視鏡検査。下咽頭癌が見つかったのは胃癌の手術の後だ。その時の別の病院の女医さんは聡明で優秀な人だった。そのあとかかった男医が横柄で嫌な男だったからセカンドオピニオンの病院で手術した。今回はこの病院で初めての胃カメラ検査だ。担当者と器械の違いは確認できるだろうか。医療機器も進歩しているだろう。医療ミスはないか、あれこれ考えることは多い。

 会計してがっかり。何と一万七千四百五十円。これはボクシングで言えばダウンに至るきついボディブローだ。先週から6日間日銭が稼げていない。体調のせいもあるがこちらのミスもある。

 それはともかく、滅入る気持ちをいなすべく築地から御茶ノ水まで行きCD、DVDショップや図書館で本を借りよう。午後六時からは友人N君の厚意で試写会にも行く。

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分裂症的雑感

 朝刊トップは中村 哲医師殺害の記事。氏の活動は漏れ知っていた。おそらく個人を狙った犯行ではなくグループでの活動が標的になったのだろう。赤十字や医療関係者も安全は保証されていないのだ。対テロ戦争のなかでの戦死だろう。争ではなくテロだからだ。続報を読み考えを記していく。心から哀悼する。

 本日は午前中の予約で胃カメラ検査の日だ。この数カ月、食事に異変が生じ、このひと月は少し食べると決まって噎せて食べたものが逆流し、全て吐き出すときと水分だけというのかあぶくしか出ないときもある。明らかに異変が生じている。

 先日の下咽頭の内視鏡検査では目立つ異変はないという診断。しかし、食事ができないという説明に主治医は即座に対応し胃カメラ検査を予約したのである。下咽頭でなければ食道か胃の病変を疑うのは三つのがん手術を体験したアカショウビンのような医学の素人でも推測する。

 それはともかく、十余年前に直腸癌の診断で内視鏡手術をして以来覚悟はしてきた。しかし、幸い十余年生き延びた。それが四年前の胃癌、三年前の膀胱癌、下咽頭癌で手術、入院しても特に驚くこともなかった。今回の検査で胃癌の再発、食道癌が新たに見つかっても想定内だ。あとは医師の治療計画と相談し従うだけだ。

 それはともかく。それまでに娑婆ではやり残した事を一つ、一つ片付けていくことだ。読み残した本、聴き残した音楽、観残した映画、繰り返し読み新たな相貌を現す著作や音楽、美術、それを我が身で受容することがアカショウビンの余生の楽しみである。

 死は死すべき者たちの経験から学ぶことの深浅はあれ、一生で出会う体験である。アカショウビンも父母、知人の死でそれを体験した。死は生と対立するものではなく、生の一部であるという考えもある。それはともかく、我が身の最期に至るまでに出来るだけの事はしなければならぬ。この世の縁は蔑ろにできない。ところが、この十余年、義理を欠くことも増える。果たして、どれくらい、それを片付けて死ぬことができるのか。

 昨夜は、ここのところ改めて観続けている任侠やくざ映画や新たに購入したCDを聴いた。その感想を少し以下に。

 映画は山下耕作監督の『緋牡丹博徒』。藤 純子の女侠シリーズである。高倉 健が特別出演している。高倉に次いで藤を売り出そうという東映の意図がわかるシリーズだ。山下監督も力が入っている。脇役に若山富三郎、大木 実、清川虹子らを揃えている。言って見れば、東映ドル箱ともいえる任侠やくざ映画路線の意図に沿った作品だ。山下監督にとっても、新たにその手腕が問われ、それに応えた作品である。しかし、何か物足らない。マキノ雅弘監督以来の義理と人情の狭間で懊悩する男と男、男と女の姿を山下監督も継承はしている。しかし、もうひとつ何処か超出したものがないのである。それはこちらの感性が鈍いだけかも知れぬ。そのうちに観直し新たな感想が湧くかもしれない。

 あれこれ映画や音楽を聴きながら未読の本や途中までの本を読み継いだ。新たに啓発され中途で継続していない道元の文章にも眼を凝らした。その契機となったのは柳田聖山の論考である。これは稿を改めて書かねばならない学問的、思想論的、宗教論的刺激を受ける。他に、この道元ガイドブックには高名な識者が寄稿している。特に唐木順三の道元論は再考を促す。

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2019年11月28日 (木)

若きカール・マルクス

 先に少し書いた『私はあなたの二グロではない』のラウル・ペックの最新作品と思われる昨年都内の岩波ホールで公開された作品である。原題は『LE JEUNE KARL MARX』。邦題は『マルクス・エンゲルス』。内容は、「共産党宣言』を出版し19世紀中期にドイツ、フランス、イギリスを行き来し精力的に政治活動、出版活動を展開したマルクスと盟友フリードリヒ・エンゲルスの若き姿を描いた秀作だ。当時、マルクス26歳、エンゲルス24歳。このほどレンタルショップに登場し、アカショウビンも二度目で熟視した。監督の意図は前作のドキュメンタリータッチとは異なる監督の創作である。監督は作品のなかでマルクスとエンゲルスが生きた時代と人々を再生した。監督はアカショウビンと同年代だ。中南米出身の監督と育った土地、風土は違っても同時代を生きた精神風土は共通するものがあるのだろう。実に面白く啓発される。二人の哲学者・思想家・行動者に対する評価はまちまちだろう。しかし、『私はあなたの二グロではない』を撮った監督が奴隷解放運動の頃のアメリカと所を変えて撮った作品は同じ監督のものとは思えない作品になっている。実に入念に仕上げられた物語だ。過去の或る時代の人と歴史背景を映像化するという行為は文芸において文字にするという行為と映画でも脚本、当時の建物、風俗を再生する楽しみと責任が伴う。それらが実にバランスよく監督は映像化したと思う。

 マルクスの思想の可能性は今また見直されている。「近代ブルジョワ社会は、呼び出した悪魔を制御できぬ魔法使いと同じだ。封建制を打倒したブルジョワの武器が今や彼ら自身に向けられている」。『共産党宣言』の一節だ。イギリスに亡命したマルクスが病と貧困のなか書き続けた『資本論」も新たな読者を得て読み継がれているようだ。その成果が人間の未来を開く契機となることを。現在の若きマルクス、エンゲルスたちに期待する。

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2019年11月26日 (火)

久しぶりの築地

 食事が満足にできなくなり築地の病院へ。前回来た時までは名字で呼ばれたが今回は番号になっている。個人情報保護法ヘの配慮なのだろう。待合室はほぼ満員。この科は頭頚部腫瘍科。下咽頭ガンの手術をしたのが三年前だ。既にリンパ節に転移していたらしいからステージは3から4である。それでは、冥土への旅支度をせねばならないか、と腹はくくった。なにせ、その一年前は胃ガンの手術、下咽頭のあとは膀胱ガン。全身ガン患者だからである。診察の結果、下咽頭のカメラ診断では目立つ病変なし。しかし食道と胃を調べるため来月、胃カメラ検査をすることになった。その対応の早さはさすがだ。粛々と治療過程に身を委ねトボトボと寿命を果たすべく一日、一日を凌がなければならぬ。診察を終え、市場を見て回った。相変わらずの人の多さだ。多くは豊洲に移転しても“場外”の寿司屋は女性たちで賑わっている。外国人も多い。中国語、韓国語が幅を効かせ、欧米人、中東人、東南アジアの人々も。アカショウビンもそうだったが、外国に行き、野菜市場や魚市場は、その国の人々が何を食べているのか興味を掻き立てるのだ。築地から歩き有楽町駅まで。友人と待ち合わせベトナム料理店で食事。しかし、これなら食べられるだろうと注文した鶏フォーが二口食べて噎せ、席を外し外のトイレに。何とも酷い昼食になってしまった。友人と別れ、新宿で降り中古店でCDを漁った。ここのところ、よく聴いているシベリウスのヴァイオリン協奏曲の縁で交響曲全集を手持ちのとは別のものを買った。滅入る気持ちを晴らすには好きな音楽、好きな映画、面白い本である。

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