2020年1月18日 (土)

未完としての老い

 老いを「未完成のままに受け入れよ」と、はっきり語ったのはスイスの医学者ポール・トゥルニエが初めてだろう、と天野正子は述べ、彼は著書のなかで次のように書いているという。私たちの一日一日は小さな断念の積み重ねであり、したがってその連続で成り立つ老いもまた未完成である。

 そして更に続ける。

 どんなものにも「はじめ」はあっても「終わり」はなく、完成が老いに価値を与えるのではない。未完であることははっきりしたかたちや証しをもたないがゆえに不安定このうえない。しかし、そのことが人々に内的生命力をもたらす。「老いの喜び」は、完全はありえぬと認めることからはじまる。(天野正子『老いへのまなざし』p223)

  アカショウビンは、この天野の考察を病で衰弱すり身体を老いの不如意に困苦する高齢者の生き様に重ね読む。本日は、久しぶりの昼の勤務である。雨で中止かとも思ったが予定通り。雨から霙、小雪舞う中での路上警備であった。軍手はビショビショ、手指は凍えかじかむ。工事は7箇所のマンホールの下水道を移動した。病体には辛い仕事ではある。しかし、そこには未だ動く心身のではなく変化も実感する。老いと病は残り少ない時を如何に生きるかという共通の場に立つことでもある。そこに活力を見出さねばならない。かつて天野の先輩の鶴見和子が病床で妹さんに語ったように世界は驚きに満ちているのだから。

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2020年1月17日 (金)

すべては風の一吹きさ!

 天野正子が引いている吉野せいの作品中の一文が好い。

 すべては風の一吹きさ!どこからかひょいと生まれて、あばれて、吠えて、叩いて、踏んで、蹴り返して、踊って、わめいて、泣いて、愚痴をこぼして、苦しい呻きを残して、どこかへひょいと飛び去ってしもうすっ飛びあらし‼(『老いて』1973年)

 どこかへひょいと飛び去ってしもう、とは殆ど達観の境地だ。いや、いや、この人には達観などという言葉は似合わない。天野が章立てしているのは、老いた作家の文体論であるわけだが、作家という職業は、文章にその生き様も反映する。そこに天野は注目し老いた作家の生を考察しているのだ。

 きょうは放射線治療8回目。M医師の診察説明ではガンが「溶け始めて」いて治療効果が出始めている、とのこと。内視鏡カメラで撮った画像で示してくれた。先ずは喜ぶべき事と納得する。全身麻酔での手術でもそうだが、最先端治療というのは患者の痛みや身体感覚とは異質の科学的処方が行われる。そこで治療する側とされる側の距離が遠くなる。その遠さを近くするのは互いの会話による。しかし、専門家と素人の違いの差を埋めるのは簡単にはいかない。そこに現代医療がどれほど留意しているかアカショウビンは詳らかにしない。しかし、そこには残された時間を含め、他人にはもちろん本人でさえ不明な精神的葛藤が生じる。

 吉野せいの文章には、そのような葛藤を吹き飛ばす闊達さがある。無文字社会ならぬ、文字社会の恵みとも言える。文字に染まり半ば溺れているアカショウビンや現代人には、古代人の境地に至るのは、それなりの工夫と努力が不可欠なのである。

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2020年1月16日 (木)

無文字社会の時間と空間

 天野正子は、子供と老人が親しむ時間と空間は鶴見俊輔が説く、無文字社会の時間と空間を思い出すこと、という指摘を引く。無文字社会の時間と空間は、神話的空間とも記す。それは私達にどのように可能になるのだろうか。孫と祖父母の交わりはその一つだろう。老人ホームを慰問する子供達との間にもそれは発現するだろうか。いずれにしても、それは私達が日常を生きている時空間とは異なる場であろう。

 老いと病のあと現実のなかで、それを自ら生成していくことがアカショウビンの残り時間を活性化させていくだろう。きょうは7回目の放射線治療を終え、食事指導のアドバイスも受けた。好きなものが食べられないというのは辛いことなのだ。健康な時に人はそれに気づかない。病にかかりそれに気づくことは天の啓示のようなものかもしれない。しかし、それが老いと病という時空間が示す人間という生き物の本質と正体とも思える。アカショウビンは正にその渦中を生きている。それは決して捨てたものでもないとも言える。

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2020年1月15日 (水)

通院治療の日々

 都心での夜勤の仕事は夜中3時前に終了した。1時前から小雨が降り出した。一昨日、きのう、と同じ現場。一昨日は交通量の多い場所で車線変更の合図を送る担当だったが、きょうは狭い道の自転車、バイクの通行止め。深夜でほとんど通行なし。立哨だけで楽だった。終了したあと始発まで時間をつぶし始発に乗る。電車の中は温かく、居眠りもできる。なんともありがたい空間なのだ。

 電車でしばし休息したあと病院ヘ。受付は8時30分からだが、きょうは行列はないが、きのうは長蛇の列だった。連休明けのためだったのかもしれない。

 先週から始まった放射線治療は中三日をおいて昨日が五回目。きょうはこれから六回目になる。どんより曇った外の景色は、こちらの気持ちまでふさぎこむ。きのうは採血も診察もなかったが、これから採血。その行列にもびっくり。

 食事は相変わらず吐くばかり。コンビニで買った小さなインスタントうどんが二口、三口で食べられなくなり、しばらくすると噎せて嘔吐する。食欲はあるのである。しかし、胃が拒否するのだ。処方された栄養剤だけがたよりの状態が依然続いている。

 採血は8cc。これから放射線科に移動する。

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