2019年5月21日 (火)

大人になれない政治家

 意気がった党名の所属議員が醸した本音が新聞紙上で丁々発止される。大人になれない議員の支持者の責任は、党派を超えて政権の横暴と通じている。ハンナ・アレントの全体主義分析の論説を辿ると、西洋近代が世界に生じさせたハンナの説く「超意味」という概念の到達するナチズムに席巻されたドイツ国家の歴史を考察する意志を励起させられる。それはまた同時代にナチズム国家と呼応した日本帝国主義国家の歴史を辿るということでもある。一人の軍人に光をあて戦争という愚行を分析する梯久美子さんの著書に集中することでもある。その成果はこれからの楽しみの一つである。アカショウビンは、それがハンナの到達した境域に達することを期待する。それにはハンナが生きた欧米とは異なる東洋的知性も駆使しなければならないだろう。アカショウビンには残り少ない時間を梯さんは持っておられる。心からご精進を期待する。アカショウビンも残された持ち時間を無駄にせず余命を全うしたい。

 大人になりきれない若い議員の責任は支持者の責任でありが、法を踏みにじり歴史の愚行を確信犯の如く辿る現政権の暴虐は国民の責任と無責任であることはハンナと共にアカショウビンは告発、暴露、思索していく。

 若い議員の知性と行為も現在の日本国民の平均レベルである。それは敗戦の時に敵国の将軍から子供のように幼稚だと皮肉られた事を想い起こさせる。

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2019年5月19日 (日)

ラルゴ エ メスト

 速度指定で「幅広く ゆったりと そして 悲しく 憂鬱に」という。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品10の三つのソナタのうち三番目の三楽章の速度指定である。ケンプの1965年の録音で聴き直した。若きベートーヴェンの息吹と嘆息が聴き取れる思いがする。続く四楽章、メヌエット アレグロへの移行も静謐ですばらしい。この録音を聴くきっかけになったのはグリューミオ・トリオが1967年に録音したベートーヴェンの弦楽三重奏曲の第二番ト長調の第一楽章アダージョをたまたま聴いて息をのむ弦の妙音に挑発されたからだ。若きベートーヴェンの作品を優れた演奏家が演奏すれば現世の妙音と言ってもよい調べが奇跡のように奏でられる。それに驚愕し刺激され、改めて若きベートーヴェンの作品に集中しようという気力を得た。弦楽トリオ、ピアノ・ソナタを経てベートーヴェンは作品15で最初のピアノ協奏曲を世に問う。それも幾つかの録音で聴いてみよう。

  そのような衝動に駆られたのも先に読んだ河島みどりさんのリヒテルの本、そして古本で購入した武満 徹の対談集を読んで刺激されたからだ。武満が1975年10月30日に出した『ひとつの音に世界を聴く』(晶文社)の中に吉田秀和との対談がある。それが実に面白い。1974年1月、『ユリイカ』に載ったものだ。タイトルが「ベートーヴェンそして現在」。興味ある方には是非読んで頂きたい。それは行間に若い武満や吉田の当時の時代情況への思いも読み取れるからだ。

 それはまた我々が生きる現実と現在、政治情況、文化情況とも呼応する。アカショウビンは一年近くテレビを観ないが、東京新聞でそれらは記事で読んで過不足ない。関心のある話題には更に突っ込んだ記者や論説委員の記事で読める。その幾つかはブログで感想を述べる。今朝の朝刊の27面〝本音のコラム〟は前川喜平氏が「高等教育無償化が変だ」という見出しだ。同紙のコラムは先日、奄美大島の見出しで同氏が初めて訪れたというアカショウビンの故郷の現実も興味深く読んだ。何と奄美にミサイル基地が設置中という。我が故郷も現在の政権の無法と横暴にに翻弄されている。

 コラムの下には先日、俳優・佐藤浩市のインタビューが思わぬ騒動になっていることを伝えている。彼のコメントに右派・保守派、ヘイト・スピーカーらが過剰反応したらしい。現在の政治・文化情況を反映すると思われる現象だ。改元やオリンピックに向けて能天気な空気のなかで時に突発的な状況が生じる。その一端を現わす遣り取りだろう。そのような空間・時間の中にアカショウビンも市民、国民も生きている。それは未だ幸いなほうだ。世界の各地では砲声が止まない。アカショウビンもベートーヴェンの作品に集中できる。それは現世の安穏ともいえる。それが否定される時が来る。将棋の故・米長邦雄の名言がある。タイトルは取ったときに笑っておけ、いずれ泣く時が来る。それは新名人の豊島名人も肝に銘じているだろう。将棋や囲碁の世界は盤上の勝負がすべてである。泣くも笑うも。しかし私達が生きる政治情況は将来の市民、国民に跳ね返る死活に関わる。そこに能天気ではいられない。

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2019年5月17日 (金)

労働の現場④

 本日は夜勤。初めての現場だ。大井町駅から送迎バスに乗る。初めての現場というのは不安になる。どんな作業をやらせられるのか、面子は、どういう輩が仕切っているのか。先月までの潮見や舞浜からすれば距離的にいくらか近い。駅近くには飯屋も多い。とにかく日銭を稼ぐのだ。身体が動くうちに。

 午後10時30分、送迎バスに乗る。面子はまるで亡者のようだ。こういう面子とどんな作業をさせられるのか。バスはマイクロバス。ラジオ番組の音が不快。現場はアマゾン、ユニクロなどの商品仕分けというが。

 作業は、ベルトコンベアで流れてくる商品を取り分けてカゴ車に積み込む単純作業。外国人が異常に多い。ベトナムや東南アジアなのだろう、かつて仕事で訪れたタイ語と思しき言葉も飛び交っている。他の現場で共に働いた人も何人かいる。

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2019年5月16日 (木)

ファンタジーとレクイエム

 ドリス・デイの訃報に続き、京マチ子の訃報が続いた。ドリス97歳、京95歳、共にご長寿で何よりだ。東京新聞は京の評伝も掲載している。出演作品の幾つかが想い起こされた。意外な事実も知った。『羅生門』で眉をそって演じ監督を驚嘆させたという。あの黒澤が驚嘆するほどの女優なのである。代表作は溝口の『雨月物語』と『羅生門』と思う。歳を経て出演した作品も幾つか想い起こされるが記事には仲代達矢さんと山田洋次監督のコメントもある。俳優になる前からのファンだったという仲代さん、『男はつらいよ』(1976年 シリーズ第18作)でヒロインで登場した時の山田監督の回想「息を吞むような美しさ」というコメントも名女優への最大のオマージュだ。同作品も観直してみよう。ドリス・デイは『知りすぎていた男』(1956年 ヒッチコック監督)で歌った「ケ・セラ・セラ」が大ヒットし日本語の歌詞でも歌われた。アカショウビンのジャズ歌手列伝では上位にこないが、「センチメンタル・ジャーニー」(1945年)は名曲だ。ともに映像作品で楽しませて頂いたことに心から哀悼する。

 


表題の〝ファンタジー〟とは、先日借りてきて観た大林宣彦監督の『この空の花 長岡花火物語』で繰り広げられる、溢れるばかりの映像の印象である。東日本大震災と先の大戦の長岡空襲にまつわるエピソードは大林監督の死者たちへのレクイエムだ。その空襲は新潟市への原爆投下の予備爆撃であったという事実も初めて知った。現今の政治情況への監督のメッセージが伝わる佳作だ。たまたま古本屋で梯(かけはし)久美子さんの『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮文庫 平成20年8月1日)を読んでいて、先の大戦の事実も新たに辿っている。  

 見事な死にざまと生き方がある。余命のある間に読み続け、書き遺しておかねばならぬ事は多々ある。日々の労働に疲弊しながらその時間を作らねばならない。そして縁あった友人・知人たちとの出会いと別れにも時間を割かねばならない。本日は長く勤めた会社の仕事の縁で出会った企業のオーナーの現役引退の会に出席させて頂く。娑婆での縁は出来る限り失礼のないよう心がけたい。しかし十全とはいかぬ。機会を逃さぬようにせねばならない。

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