2020年7月 7日 (火)

エンニオ・モリコーネ追悼

 昨夜、映画好きの友人からのメールで訃報を知った。享年91歳。大往生であろう。アカショウビンが中学生のころマカロニ・ウエスタンと、それはアメリカでは蔑称らしいが、イタリアで制作された西部劇が日本で大人気になった。本場とは異なる些か残酷さもあるものが多かった。そのなかでセルジオ・レオーネ監督の作品は音楽が奇抜で素晴らしく、俳優も実にかっこよかった。その音楽がエンニオ・モリコーネ、俳優はクリント・イーストウッド。『夕陽のガンマン』、『荒野の用心棒』など中学生が夢中になる面白さだった。アカショウビンが通った中学では街の映画館で映画を観ることは禁じられていた。しかし、隠れて観た友人の評判は校則を破ってでも観たい衝動に駆られた。そしてハマった。友人たちと映画雑誌を回し読みし、映画にのめり込んでいったのだった。

 映画監督と映画音楽はたいがいコンビを組む。フェデリコ・フェリーニとニーノ・ロータ、小津安二郎と斉藤高順、新藤兼人と林  光など。そこには阿吽の呼吸とでもいう了解がはたらくのだろう。それは時に絶妙な効果をもたらす。モリコーネとレオーネに生意気な中学生は魅了された。それはレオーネの早い死に至るまで続いた。アカショウビンにとって『ウエスタン』という作品は、セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネが創り上げた最高傑作で集大成のマカロニ・ウエスタンで、本場西部劇へのオマージュとなっている、とアカショウビンは解している。

 それはともかく、エンニオ・モリコーネの作品は三枚組のCDを買ってある。退院したら追悼に聴き、楽恩に感謝しよう。もちろんセルジオ・レオーネの作品も観直そう。

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2020年7月 6日 (月)

建国の精神

 先週金曜日7月3日の東京新聞〈本音のコラム〉のタイトルは「マスクをしない自由」。北丸雄二氏は、「彼らはマスクをしない自由を唱えます」と述べアメリカの建国の精神を説明する。清教徒たちが英国国教会という権威から逃れて建てた国というのは教科書で学んだ。しかし「自治から始まったので、連邦政府すら要らない、税金さえ払わないという考えが今でもあります」とは知らなかった。憲法修正第二条には「政府が変なことをしたら人民が銃を持って立ち向かう権利も保証されます」という条項も未だに銃規制が困難な理由というのも目からウロコだ。この日が7月4日、アメリカ独立記念日の前日に掲載されたのも北丸氏の意志の含みが察せられる。アカショウビンは、『アメリカの黒人演説集』で1852年のフレデリック・ダグラス氏の演説論考「奴隷にとって七月四日とは何か?」を読んだばかりなのも奇遇だ。

 同じコラムの6月27日の記事。タイトルは「これも差別」、師岡カリーマさんがパレスチナ自治区のエリコで行われたデモを伝えている。トランプ政権とイスラエル両国の国際法違反の暴挙を告発する。パレスチナ差別の歴史は長い。ドイツでユダヤ人殲滅の被害を被ったユダヤ人がイスラエルでパレスチナ人達の土地を奪い殺戮行為を繰り返す。それはベトナムでも繰り返された構造と同じだ。人間は歴史から学ばない。進歩とは共同幻想でしかない。

 デモには英国、日本の外交官も参加したらしい。「占領軍による一般市民殺傷のニュースも日常茶飯事。これが天下の超大国のお墨付きで横行し、抗議の声は世界に届かない」と師岡さんは嘆く。

 しかし、奴隷制度の残滓を未だに残す〈超大国〉の罪は〈世界法廷〉で裁かれねばならぬ。

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世界法廷を機能させよ

 きょうは先日友人のI くんに差し入れてもらった文庫を読み喝を入れる。マルコムXの演説だ。『アメリカの黒人演説集』(荒このみ編訳 岩波文庫 2008年11月14日)所収。暗殺される一年たらず前、1964年4月3日、オハイオ州クリーヴランドのコリー・メソディスト教会で行われた。「The Ballot or the Bullet」(投票権か弾丸か)というタイトルだ。かつてスパイク・リー監督の『マルコムX』を観てから参考文献を幾つか読んだ。その中にこの文庫はなかった。よい機会だ。アメリカ全土で黒人差別反対運動が継続している。暢気な日本人でいるわけにもいかない。この体調でデモに行くわけにもいかないが、共闘の思考だけは表明したい。

 映画の中で主演のデンゼル・ワシントンが演説する。「デモクラシー(民主主義)なんて姿を変えたヒポクラシー(偽善)だ」。それはこの文庫でも確認した。マルコムXの演説は痛烈だ。それは人種差別なかんずく黒人差別の国、アンクル・サム(アメリカ政府)の国の歴史を抉り告発、弾劾する。それがタイトルに集約されている。

 「そうだ。私はアメリカ人ではない。アメリカ二ズムの犠牲者、二千二百万人の黒人の一人だ。民主主義なんて姿を変えた偽善だ。私は今、アメリカ人としてあなたがたの前に立ってはいない。愛国主義者、国旗敬礼者でも旗振り扇動家でもない。とんでもない。私はアメリカン・システムの犠牲者として話している。犠牲者の目でアメリカを見ている。アメリカの夢など見ていない。アメリカの悪夢を見ている」(同書p291)。

 マルコムXは、このアメリカの罪を人権無視の罪として世界法廷に提訴しようとした。世界法廷とは国連である。国連の無力は歴史が証明している。しかし、カントや賢人たちが追求したモデルとしての世界法廷は実現なかばとしても諦めることは許されない。共闘の声、怒りの声を挙げようではないか。真の世界法廷の実現を目指し。

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苔の候

 雨に曇る景色と微かな雨音が心地良い。退院に向けて体調を調えていかねばならない。緊急入院以来の無聊は友人たちに差し入れを頼んだ文庫本で凌いでいる。読み差しの本も団地から持ってきてもらった。読む時間はたっぷり。ただ体調がいうことをきかぬ。ここのところ下痢が続く。だるさが増したようにも思える。薬の影響があるのだろう。

 それはともかく、この雨で木々は生きる養分をしっかり蓄えることだろう。大樹には苔も生き生きとその色を映えていることだろう。先日は週刊誌で各地の苔の名所を特集していた。屋久島、京都など名所は多いようだ。しかし、近くに苔の美しさは見ることができる。アカショウビンが棲んでいる団地の前の公園には樫の大樹が威容をなしている。その木肌に苔が映える。名所とは異なるけれども、苔を観察することは返って都合良し。退院したら、雨の日が楽しみだ。

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